見て歩く日本の城と史跡ー甲府城(5-3)

  甲府城・稲荷櫓資料室

見て歩く甲府城
 
甲府城の見どころ
 
山手門渡櫓料室
 
鉄門櫓内の資料



 




1582 天正 10 織田信長・徳川家康により武田勝頼滅亡。甲斐領は織田領となるが、
本能寺の変により徳川領となり、城代平石親吉が支配。
1590 18 小田原北条氏が滅亡し、豊臣秀吉が全国統一する。
家康は関東に移封となり、羽柴秀勝(秀吉の甥)が甲斐国を支配する。
1591 文禄 秀勝は岐阜へ移封し、加藤元泰が支配する。
1593 光泰が病死し、浅野長政・幸長が支配する。
1600 慶長 関ヶ原の戦い。このころ甲府城が完成。
1601 甲斐国は徳川領となり、再度平石親吉が城代として支配する。
1603 江戸に幕府が開かれる。徳川義直(家康九男)が城主となる。
1607 12 義直は清州へ移封。城番制(武田十二騎)となる。
1615 元和 大阪夏の陣で豊臣家滅亡。
1616 徳川忠長(二代将軍秀忠の二男)が城主となる。
1632 寛永 忠長死去。再び城番制となる。
1661 寛文 徳川綱重(三代将軍家光の三男)が城主となる。
1664 寛文の大修理(幕府より2万両)
1678 延宝 徳川綱豊(綱重嫡男)が城主となる。
1704 宝永 綱豊が江戸城に移り、六代将軍家宣となる。
1705 柳沢吉保が甲斐国を受領する。
1706 城内の修復がおこなわれる。
1724 享保 柳沢吉里(吉保嫡男)大和郡山に移る。甲府勤番の設置。
1727 12 甲府城大火。
1854 安政 開国
1866 慶応 勤番制を廃止。城代を置く。
1867 大政奉還され江戸幕府は滅亡。
1868 明治維新。板垣退助が甲府城に無血入城。
1873 明治 廃城
1877 10 鍛冶郭に葡萄酒醸造所を設置。
1897 30 清水郭に中央線甲府停車場を建設。
1900 33 楽屋郭に建立甲府中学校を建設。
1904 37 舞鶴城公園として開放。
1968 昭和 43 県指定史跡となる。
1990 平成 平成の整備事業が始まる。
2004 16 稲荷郭復元







甲府城の石垣
 お城を石垣で築くのは織田信長の安土城が始まりといわれ、安土城の築城に携わった近江国穴太の石工集団がこの後の石積
技術の発展に大きな影響を与えました。
 400年前の甲府城築城期の石垣もその影響を受け、自然石や○く割った大小さまざまな形の石をバランス良く積み上げる野面
積みという積み方が主流でした。それは、ただ積むだけではなく、石垣の斜面(ノリ)が高くなること、角度(ソリ)をつけることなどに
より高く、強い石垣にする、とても高い水準の土木技術で積まれています。
 城内の石垣を見て歩くと、3種類の積み方が見られ、時代によって積み方や技術が変化していることが分かります。



 


見て歩く甲府城
 
甲府城の見どころ
 
山手門渡櫓料室
 
鉄門櫓内の資料



日本の城と史跡・目次][年表