甲府城は、今から42年前の戦国時代の終わり、武田家が滅亡した後に豊臣秀吉に命令で築かれた城です。武田時代 |
の城は、土を盛り上げ、堀をめぐらしたものですが、織田信長や豊臣秀吉は、高い石垣を築いて櫓などを立てるという当 |
時の最先端の土木工事で造られたという特徴があります。 |
今回の発掘調査で発見された礎石は、甲府城の正面にあたる「追手門」の礎石で、豊臣時代のものと思われます。礎石 |
は南北方向に二石が並んでおり、北側の礎石上部には門の柱を立てた長方形のホ○穴と、塀の軸をささえる軸摺穴(じく |
ずりあな)があり、門の正面側に設置されていた礎石であることがわかりました。南北約2m、東西約1mとひじょうに大き |
な石材が使われており、甲府城の正面にふさわしい大きさの礎石であったことがうかがわれます。この礎石はその文化的 |
な価値が検討され、養生のうえ埋設保存されることになりました。 |
わずかに残った豊臣時代に遺構が再び皆様の足元で眠りにつきます。引き続き、県民の皆様のご理解とご協力を頂き |
ながら、後世に伝達していきます。 |