見て歩く日本の城と史跡-甲府城(5-4)

  甲府城・鉄門櫓内の資料

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 石工事
 鉄門完成後は両側の石垣の補修が困難になるため、まずは石垣の補修工
事から始まりました。今回の復元工事では遺構の礎石を使用するため、割れ
た礎石の補修をおこない、失われた礎石は同等の新石材で補いました。

 木工事
 鉄門の材料は木で、国内産を使用しています。材料の選定から木材の組み方
まで十分に議論し、長く後世に残る復元を目指しました。○手・仕口を巧みに使
い分けて木を組み合わせる技も見られます。

 屋根工事
 今回鉄門で使用した瓦は28種、約8,000枚です。鉄門の歴史感に沿うよう委員会の
指導を仰ぎながら、甲府城跡の出土品を復元しました。瓦を葺く前には、竹釘で薄い杉
板を貼る「土貼葺き」をおこないます。その後、平瓦と丸瓦を交互に編んで土をつける
「本瓦葺き」で葺かれました。

 左官工事
 漆喰塗りで仕上られる壁は、竹で骨組みを作る小網かきから、荒壁つけ、塗直し、
中塗り、上塗りなど約8回塗り重ねます。手作業で素早く丁寧に塗られた壁は、
耐火性に優れた○○なものとなっています。



調査の概要
調査原因 県庁構内外構整備工事
調査機関 平成27年9月10日〜17日
調査の経緯と目的
 平成27年9月1日の外構整備工事により、礎石と思われる石材が確認されました。現地は明治時代の初め頃まで甲府
城追手門(櫓門)が存在していたとされる地点であり、今後の工事により、掘出石材の一部を○○する可能性があることか
ら礎石の性格などを把握するために発掘調査を実施します。
 甲府城は、今から42年前の戦国時代の終わり、武田家が滅亡した後に豊臣秀吉に命令で築かれた城です。武田時代
の城は、土を盛り上げ、堀をめぐらしたものですが、織田信長や豊臣秀吉は、高い石垣を築いて櫓などを立てるという当
時の最先端の土木工事で造られたという特徴があります。
 今回の発掘調査で発見された礎石は、甲府城の正面にあたる「追手門」の礎石で、豊臣時代のものと思われます。礎石
は南北方向に二石が並んでおり、北側の礎石上部には門の柱を立てた長方形のホ○穴と、塀の軸をささえる軸摺穴(じく
ずりあな)があり、門の正面側に設置されていた礎石であることがわかりました。南北約2m、東西約1mとひじょうに大き
な石材が使われており、甲府城の正面にふさわしい大きさの礎石であったことがうかがわれます。この礎石はその文化的
な価値が検討され、養生のうえ埋設保存されることになりました。
 わずかに残った豊臣時代に遺構が再び皆様の足元で眠りにつきます。引き続き、県民の皆様のご理解とご協力を頂き
ながら、後世に伝達していきます。




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